本田宗一郎さんについて心に残ったものを列挙

「やってみもせんで!」
それはムリでしょう。恐らくだめでしょう。と言った言葉は「やってみもせんで!」という一喝でけしとんでしまった。

 →有名な言葉で好きです。

「チャレンジしての失敗を恐れるな。何もしないことを恐れろ。」
「私が手がけた事業のうち99%は失敗だった。1%の成功のおかげで今の私がある。」
「人には失敗する権利がある。だがしかし、それには反省と言う義務が付く。」

 →すばらしい言葉

1986年、F1でのホンダターボエンジンの圧勝を面白く思わないFISA(現FIA)はターボエンジンの段階的禁止、及び1989年から自然吸気エンジンのみへ移行する決定を下した。これに憤慨したチーム監督の桜井淑敏らは宗一郎に直訴しようとしたが、宗一郎は桜井に会うなり「ホンダだけがターボ禁止なのか? 違うのか、馬鹿な奴等だ。ホンダだけに規制をするのなら賢いが、すべて同じ条件でならホンダが一番速く、一番いいエンジンを作るのにな。で、なんだ話ってのは?」と言い、桜井等は「いいんです、何でもありません」と嬉しくなってしまった。

 →ただ、最高のエンジンを作る。それだけ
  

宗一郎は経営難に陥ったとき藤沢武夫の助言でマン島TTレース(二輪)やフォーミュラ1(四輪)などの世界のビッグ・レースに参戦することを宣言し、従業員の士気高揚を図ることで経営を立て直した。出場宣言は藤沢によって書かれた。宗一郎によるそれらの大英断は「苦しいときの神頼み」ならぬ「苦しいときのレース頼み」と呼ばれている。

 →Android Developer Challengeなどいくつかシステムの世界でもレースのようなものがあるからそこにもチャンスあるのかな。
 

若い人たちのほうが偉い。
「今の若い者は・・」と言われるが、自動車をつくり、飛行機を飛ばし、月までいける時代を築いたのは若い人たち。

 

イデアが需要を作り出す。
つねに需要は、アイデアと生産手段によって作り出すと考える。
戦後、コーモリ傘の需要度は異常な強さだった。またたく間に供給が行き渡った。
そこで、ある人が折りたたみ式の傘を考案した。 需要がなくなったはずの傘は、再び飛ぶように売れた。

 →納得。
 

心の修理も忘れない。
自動車修理は単に自動車をなおすだけではダメなのだ。
そこに心理的要素がなければならぬことに気づいた。
お客様は動揺し、憤慨し、苦労しているのだ。機械とともに、お客様の心も壊れている。
修理をし、故障の原因と対処方法を説明する。